スチールフレーム修理とテセウスの船問題-哲学で自転車を弄ぶブログ②【南麻布店/早川】
「天空のポピー畑」として知られる、秩父高原牧場に行きました。
南麻布店の早ピッピこと早川です。
前回のブログ、スチールフレーム修理とテセウスの船問題①の続きです。
ながーーーいブログになってしまっていますが、いかがでしょうか。
ここからも長いです。おまけに理屈っぽい話のオンパレードになります。
どうかお付き合いください。
彼岸花の名所、埼玉の巾着田にも行きました。
さて、前回「同一性」に関して、
日本語に即して説明すれば、ひとくちに同一性といっても二種類の意味があり、「Aは何者なのか」という意味での同一性と、「AとBは同じだ」という意味での同一性がある。
という二種類があることを紹介し、「AとBは同じか」についてを前回書きました。
そして今回はもう一つの「Aは何者なのか」という方の同一性について触れたいと思います。
もちろん、ここでいうAとはテセウスの船のことです。
このテセウスの船問題において「Aは何者なのか」という論点が適切かどうかは議論の余地があるかもしれませんが、しかし英雄の記念品として保存されていますから「Aは何者なのか」、つまり「Aはどのような価値を持つのか」ということも争点と言えると思います。そうであることを前提に話を進めていきます。
河津町の河津桜まつりにも行きました。
先に結論を、というか私の考えを言いましょう。
復元されオリジナルのパーツが一つもない状態であっても、それはテセウスの船である。と思います。
何故か?
それは、復元されたテセウスの船であっても、「記念品」という役割を立派に全うしているからです。
テセウスの船は、記念品扱いになった瞬間に
「テセウスの事績を称え、後世に伝えること」
という使命を与えられたと考えます。
この使命を果たしている以上、それはテセウスの船としての価値を持っていると思うのです。
これは私にとってのウィリエールについても言えることです。
つまり、オリジナルのWilier Superleggera SLであることを損なっても、自分にとってのウィリエールであることは変わらない。価値は変わらない。
私が乗って走るという使命をしっかりと全うしてくれているのだから。
菜の花の季節、利根川の利根大堰にも行きました。
壊れたこと・修理したことは、世間一般の価値観で言えば明らかにマイナスです。
我々ビチアモーレはUSEDバイクの買取販売をしている身ですので、そのことは実感を持って理解しています。
補修歴のあるバイク・フレームも喜んで買取させていただきます。
それでも、査定はどうしたって下げざるを得ない…。世間の価値に合わせていかなければ商売はできません。
しかし、いちオーナーの立場からすれば、価値に変わりは無いのです。
世界がそれを否定しようとも、ただ1人オーナーが肯定しさえすれば、そのバイクは輝きを失うことはない。
これは、壊れた直したの話だけにとどまらず、全てにおいて言えることだと思います。
バイクのグレードが低い、値段が安い、他者と比較して自分のバイクが見劣りする、ということを気にされる方がいます。
それらは全て、世間一般の価値を自らに当てはめてしまっているが故の錯覚です。
そうではなく、自分にとっての価値を考えましょう。
いま、貴方が乗れる、所有している、目の前にある、一台のバイク。
その位置づけにあるバイクは世界に一台しかありません。それを最大化して物事を考えるべきなのです。
もちろん自分のバイクが他のライダーより高額なハイエンドバイクで、そうであることに誇りを持っている方は、そのままでいいのです。
それも自分にとっての価値の一つです。たまたま自分の基準と世間の基準が一致しただけのこと。
鳩のように純真に、蛇のように狡猾に。己のマインドをアジャストしてゆくことが、幸せの秘訣ではないでしょうか。
夏の日、奥日光の金精峠にも行きました。
ということで、テセウスの船に関する私の結論は、「AとBは同じか」という観点ではNO。となり、「Aは何者か」という観点ではYES。となりました。
話が違うじゃねーか!というのは私自身も思いますが、パラドックス(矛盾)なんだからいいんです笑
むしろこういう結論が出てこそパラドックスの面目躍如と言えるのでは?笑
奥多摩湖のさらに奥、柳沢峠にも行きました。
私の話に戻りますが、その上で改めて壊れたウィリエールの価値を考えると、それはおそらくバイクが持つ「経験」であろうと気づきました。
4年間、4万kmを走ったこと。
2月のあの日に自走で河津町まで行って桜を見て帰ってきたこと。
後輪ハブが壊れてロードサービスを呼び、自動車用車載トラックにちょこんと括り付けられて帰ったあの日のこと。
富山県まで430kmを26時間で走ったこと。
あの暑さ、あの日見た景色、初めて自走で見た日本海。その経験。
それがあることがウィリエールの最大の価値です。
つまり、バイクとして走れる状態でなくなっても、自分にとってウィリエールはいささかも価値を失ってはいない。そのことをこのブログを書く中で認識させられました。
トラブって車載トレーラーで運ばれたこともありました。
はたから見れば壊れたスチールフレームですが、私はこのウィリエールを捨てることができません。
今でも自宅に大切に飾ってあります。
そう、すべては己の主観が決めること。
つまりは愛です。愛という価値観がすべてを超越します。
結論は、愛。汝のバイクを愛せ。
それがBICI AMORE(イタリア語で自転車愛)!
お後がよろしいようで…笑
旧千円札でおなじみ、本栖湖からの富士。秋ごろに行きました。
余談ですが、じゃあその理屈でいくと「元々のパーツを保存していて、再び船として組み立てたオリジナルでボロボロのテセウスの船」をお前はテセウスの船と認めるのか?
と言われると、なんとも微妙です。
こちらは「AとBは同じか」という観点ではYES。「Aは何者か」という観点ではNO。となる気がします。
例えるならいま建っているコンクリート製の大阪城と、かつての大阪城の遺跡が同時に存在しているような感覚かもしれません。その存在意義が違ってしまっている。
うーん、わからん!大いなるパラドックスですね!





富士スバルラインにも行きました。