スチールフレーム修理とテセウスの船問題-哲学で自転車を弄ぶブログ① 南麻布店/早川
こんにちは。この公式通販でのブログ投稿は初となります。
南麻布店の早ピッピこと早川です。
今回はスチールバイクにまつわる修理の問題と奇しくも共通点のある哲学問題を絡めて、特に意味のない駄文を弄ぼうかと思います!

手にした当初のWilier Superleggera SL。
さて、私はかつて一台のスチールバイクに乗っていました。
Wilier Superleggera SL。
コロンバスSLチューブを使ったラグ接のフレームです。
初めて手にしたロードバイクで、運用期間は約4年、距離にして4万kmほど走りました。

東京~富山市の430kmを26時間で走ったことも。壊れる直前のことでした。
普段使いの下駄バイクは別にありましたが、ロードバイクとしては一張羅で、ひたすらコイツを乗り倒したのです。
私は体重が85kgくらいある自転車にとっては辛いであろうヘヴィライダーで、時には24時間以上乗り続けるような運用をしていました。
その結果、フォーククラウンとシートステー接合部が割れてしまいます。
落車などの外的な要因ではなく、応力・ストレスによる疲労破壊です。たぶん。
多少コケたけど。

フォーククラウンのクラック。こんなことある?

シートステー接合部のクラック。これは多分気づかずしばらく乗っていた…。
そこで仕方なく別のバイクに乗り換えたのですが、自分にとって初の一台で、非常に愛着のあるウィリエールを壊れたままにしておきたくなくて、修理を決意します。
そう、スチールバイクは修理ができます。特にインチ径のトラディショナルなものであれば、壊れたパイプを差し替えて復活させることができるのです。
作業を受けてくれるビルダーさんを探し、たどり着いたのが滋賀県のmacchi cyclesでした。
診断と修理の結果、フロントフォークは全く新造、フレームも後ろ三角(シートステーとチェーンステー)を新造するという大手術に。
なんなら塗装も全く新しくして、完全に生まれ変わりました!

装いも全く新しく。マッキサイクルで直したのでマキエールと呼んでました。
そして再び乗ること1ヶ月、たったの1ヶ月でまたも悲劇に見舞われます。
今度は何とBBシェルとシートチューブにクラックが!もちろん落車したわけではありません。
そもそも落車で割れる箇所じゃないし。もうフレーム全体がへたって疲れ切っているのか。

まさかのクラック。おそらく内側に噴いた防錆油がにじみ出ている。

横もこの通り。
しかし直したばかりでこうなっては引っ込みがつきません。
再び修理することを考えます。
しかし、考える中でふと頭によぎったことがありました。
それは哲学におけるパラドックス「テセウスの船」という問題です。
これが今回のブログのメインテーマです。今までのは全部前置きです笑
テセウスの船とは何かというと、以下wikipediaより引用します。
テセウスの船(テセウスのふね)はパラドックスの一つであり、テセウスのパラドックスとも呼ばれる。ある物体において、それを構成するパーツが全て置き換えられたとき、過去のそれと現在のそれは「同じそれ」だと言えるのか否か、という問題(同一性の問題)をさす。
~話のあらすじ~
テセウスがアテネの若者と共に(クレタ島から)帰還した船には30本の櫂があり、アテネの人々はこれをファレロンのデメトリウス(英語版)[注釈 1] の時代にも保存していた。このため、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられていき、論理的な問題から哲学者らにとって恰好の議論の的となった。すなわち、ある者はその船はもはや同じものとは言えないとし、別の者はまだ同じものだと主張したのである。
プルタルコスは全部の部品が置き換えられたとき、その船が同じものと言えるのかという疑問を投げかけている。また、ここから派生する問題として置き換えられた古い部品を集めて何とか別の船を組み立てた場合、どちらがテセウスの船なのかという疑問が生じる。

スチールフレームはパートごとに分かれており、それを接合し構成されています。差し替えも可能。
ハンドメイドバイシクル展の写真をお借りしてます。
つまり、修理を繰り返して最早オリジナルの部材はトップ・ダウン・ヘッドチューブとそれらのラグだけになったこのバイクは一体何なのか、ということを考えたのです。
この思考実験のようなテセウスの船問題が、現実的にあり得るものとして直面していること。これを面白いと感じました。こんなの滅多にあることではありません。
これが起こりうるのはスチールバイクだけでしょう。カーボンやアルミバイクは一体成形だったり、修繕できるものではありませんから。
テセウスの船は同一性に関わる問題です。
「同一性」という言葉は2つの意味があります。以下wikipediaより引用。
同一性(どういつせい)とは、主に英語の「identity」を翻訳した語であり、多義語である。日本語に即して説明すれば、ひとくちに同一性といっても二種類の意味があり、「Aは何者なのか」という意味での同一性と、「AとBは同じだ」という意味での同一性がある。
この2つの意味があるというのはとても大事なポイントです。
ひとまず、一般的にテセウスの船問題は「AとBは同じか」ということを争点としていますのでこちらを先に考えていきます。もう一つの方も後で触れます。
さて、私のウィリエールは、修理した後も同じくWilier Superleggera SLであるのかどうか。私の思う答えはNOです。
それはなぜか。今回修理したのがウィリエール本社ではなく、別の工房macchi cyclesだからです。
スチールフレームは全く同一のチューブ銘柄を使っても、作り手によって出来が変わります。それは機械による画一的な製作方法ではなく、原管のカット、ザグり、磨き、ロウ材の選定、そして火を入れる手法と手腕など、非常にアナログな手工業であり、工房ごとにやり方が違うから。
全く同一であることは最初から望めないのです。
さらに元も子もないことを言えば、修理依頼にあたり、復元ではなく復活を目的としたのもNOと答えた大きな要因です。別に元のウィリエールではなくても、乗れる状態に戻ってくれれば良かったのです。
日本のビルダーの技術は世界と比べても高い水準にありますから、なんなら前より性能UPして帰ってくるんじゃないかという期待もありました笑
実際に、また壊れるまで乗った1ヶ月で前より良くなった印象を受けています。
テセウスの船の話では完全にパーツを復元しているでしょうから、すでにちょっと話の前提がずれていますが…。まあ細かいことはいいのです。
「物質的には、修理したものは明らかに別物である。」ということが言いたいのです。これはテセウスの船も同様ですから。
では、私のSuperleggera SLと同様に、部品交換を繰り返したテセウスの船は、もはやテセウスの船ではないのか?
それは違う。そうではないのだ。
続きます。